東日本大震災被災地のサッカーボールがアラスカに漂着 持ち主は岩手県の高校生

【2012年4月22日】

アラスカ湾(Gulf of Alaska)
本地震に伴う津波予測図
米国海洋大気圏局(NOAA) (PD)
地震のデータ
気象庁
  • 発生時刻
    • 2011年3月11日14時46分頃 (UTC+9)
  • 震央
    • 三陸沖(牡鹿半島の東南東) 約130km付近
  • 座標
    • 北緯 37.8度 東経143.1度
  • 震源深さ
    • 約10km
  • 規模
    • M9.0

アメリカ地質調査所(USGS)
  • 発生時刻
    • 2011年3月11日14時46分23秒 (UTC+9)
  • 震央
    • 仙台の東 130km
  • 座標
    • 38.322°N, 142.369°E
  • 震源深さ
    • 24.4km
  • 規模
    • M9.0
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東日本大震災の被災地から津波によって流出したと見られるサッカーボールがこの程、アメリカ合衆国アラスカ沖(アラスカ湾[注釈 1]のミドルトン島に漂着しているのが発見された[1][2]

発見者は同州アンカレッジ近郊に在住し、同島のレーダー施設に勤務する技術者の男性(51)で、今年3月中旬に友人と砂浜を散歩している際、ボールを発見したという[3]

アメリカ海洋大気庁(NOAA)が公開したボールの写真では寄せ書きと思われる名前が確認できるほか、関係者の話[注釈 2]によると「2005・3 長部小3年より」という文章が書かれていた[2]岩手県陸前高田市に同名の小学校があり[1][2][3]、発見者の妻である日本人女性(44)はボールに書かれた内容から、2005年春に同校の3年生から友人に贈られたものらしいことが分かり、また陸前高田市が被災していることもインターネットで知った[3]。女性は「一目見て、持ち主にはとても大事なものだろうと思った」(日刊スポーツより本文まま引用)と話している[3]

共同通信社は4月22日(UTC+9)、ボールの持ち主が陸前高田市在住の県立高校2年の男子生徒(16)であることを本人への取材で確認した[4]。学生の自宅は震災の津波で流され、ボールも行方が分からなくなったという。ボールが太平洋の反対側で見つかったことに対して「率直にいって驚いた。見つけてくれた人に感謝したい」と述べている[4]。発見者の男性は持ち主が分かったことに対し、「持ち主の無事が分かって嬉しい。早くボールを返してあげたい」と話した[5][注釈 3]

震災発生後に瓦礫や漁船などが太平洋に流出しており、一部がアメリカ西海岸沖に漂着している[1]。NOAAを初めとするアメリカの当局は日本政府と連絡をとりながら、こうした漂流物の監視を行っている[2]

注釈

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  1. スポーツニッポンではアラスカ沖、読売新聞ではアラスカ湾。
  2. 情報源側ではNOAAの公開写真に関するくだりは同一文になく、情報提示順は逆であるため、どのような関係者かは分からないことに注意。
  3. 持ち主判明(22日)、発見者へ判明を伝え取材(21日)だが、発見者への取材はロサンゼルス共同。

情報源

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本ニュースは「読売新聞」「スポーツニッポン」「日刊スポーツ」および「共同通信」の以下の報道を情報源としている。

  1. 1.0 1.1 1.2 読売新聞 『被災地サッカーボール?…アラスカに漂着』 — 読売新聞, 2012年4月22日00時21分(UTC+9)
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 スポーツニッポン新聞社 『被災地のサッカーボール 米アラスカに漂着』 — スポーツニッポン新聞社, 2012年4月22日06時00分(UTC+9)
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 共同通信社 『「持ち主が無事か心配」』 — 日刊スポーツ新聞社, 2012年4月22日13時23分(UTC+9)
  4. 4.0 4.1 共同通信社 『漂着ボール持ち主は岩手の高2生 驚き、米の発見者に感謝』 — 47NEWS, 2012年4月22日13時31分(UTC+9)
  5. 共同通信社 『持ち主が無事「うれしい」 ボール発見の米男性』 — 47NEWS, 2012年4月22日13時29分(UTC+9)

関連ニュース

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外部リンク

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