訃報 近藤崇晴氏 - 最高裁判事
【2010年11月23日】
最高裁判所判事の近藤崇晴(こんどう・たかはる)氏が11月21日午前10時7分、間質性肺炎のため東京都[注釈 1]内の病院で死去した。66歳だった[1][2]。
最高裁が11月22日に発表した[1]。最高裁によると、任期中の最高裁判事が死去したのは昨年12月[注釈 2]に死去した涌井紀夫氏以来であり[1][2]、9人目となる[2]。
東京都生まれ[1]、東京大学法学部卒[2]。1967年に司法修習生となり[1]、1969年に判事補として裁判官任官[1][2]。甲府地方裁判所・家庭裁判所所長や仙台高等裁判所長官などを経て、2007年5月から最高裁判事を務めていた[1][2]。
最高裁判事としては、土地区画整理事業のどの段階から住民が行政訴訟で争うことができるのかという問題をめぐる第三小法廷裁判長を務めて問題を大法廷へ回付し、事業計画の決定時から提訴が可能であるとする判例変更(2008年)へ繋げた[1]。今年1月には、病院が認知症患者の身体を拘束した行為を適法とした判決において裁判長を務めた[2]。
注釈
編集情報源
編集本ニュースは「朝日新聞」および「共同通信」の以下の報道を情報源としている。
関連ニュース
編集- "訃報 涌井紀夫氏 - 最高裁判事"。ウィキニュース、2009年12月19日