【2008年11月13日】

日刊スポーツによると、元朝日新聞社の記者・ジャーナリスト・ニュースキャスターの筑紫哲也氏が11月7日午後1時50分(日本時間 UTC+9)、肺がんのため東京都内病院で死去した。73歳だった。

筑紫氏は2007年5月、総合司会を務め、自らの冠が付いたTBSテレビ局の報道・教養番組「(筑紫哲也の)ニュース23」で肺がんを告白。今年の7月に鹿児島県の病院に入院した時にはガンが全身に転移していた。その後10月に都内の病院に転院後、危篤状態になったという。

読売新聞によると、筑紫氏は大分県の出身。早稲田大学卒業後の1959年に朝日新聞の記者として入社。政治部、ワシントン特派員、雑誌「朝日ジャーナル」編集長。「新人類」や「元気印」という言葉を流行らせた。テレビ朝日の番組「こちらデスク」の司会者としても活躍した。

1989年に朝日新聞を退社し、「ニュース23」の総合司会を担当し、テレビ朝日の「ニュースステーション」で司会をした久米宏氏とともに、新しい形のニュース番組のスタイルを作った。先述の通り、2007年5月の「ニュース23」で肺がんを告白した後、治療しながら番組に出演。今年5月には「日本記者クラブ賞」を獲得した。生前最後の出演は今年8月11日の「ニュース23」であった。

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