【2008年6月3日】

日本経済新聞によると、日本サッカー協会元会長で、日本代表監督も努めた長沼健さんが6月2日日本時間午後1時15分、肺炎のため死去した。77歳。

毎日新聞によると、長沼氏は広島県出身。関西学院大学中央大学を経て古河電工に入社。日本代表選手としては1954年のワールドカップ(W杯)スイス大会出場をかけた予選で日本代表初ゴールを決めた他、1956年のメルボルン五輪にも出場。1962年に32歳で日本代表監督となり、クラマーコーチらとともにレベルアップを図り、1964年の東京五輪でベスト8、1968年メキシコ五輪では銅メダルに導いた。

その後日本サッカー協会の専務理事、会長の要職を務め、2002年のW杯日韓大会では日本組織委員会副会長を担当。その後も日本サッカー協会最高顧問、日本体育協会副会長も担当していた。

時事通信によると、この日横浜国際総合競技場(日産スタジアム)で行われた2010年W杯南アフリカ大会へ向けたアジア3次予選・日本-オマーン戦で、日本代表選手は喪章を付け、また試合前には黙とうが捧げられた。

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