訃報 野口二郎氏
【2007年5月22日】
四国新聞によると、プロ野球選手だった野口二郎さんが5月21日、肺炎のため宝塚市の病院で死去した。87歳。
産経新聞によると、野口さんは愛知県の中京商業中学(現・中京大学付属中京高等学校)時代に1937年度の夏、1938年度の春の甲子園全国大会に出場し連続して優勝投手。その後はプロ野球に入り、東京セネタースに入団した1939年度の大会で33勝の当時の新人最多勝利記録を達成。また大洋軍に移籍した1942年には527回1/3登板して40勝した。野手としても活躍し、阪急軍に移籍した1946年には31試合連続安打記録も挙げている。
日刊スポーツによると生涯成績は投手として237勝139敗。打者としては2割4部8厘の成績を残して1953年引退。その後阪急と近鉄等のコーチを歴任した。1989年度野球殿堂入り。
出典
編集- SHIKOKU NEWS 『野口二郎氏が死去/元阪急の“鉄腕投手”』 — 四国新聞, 2007年5月21日
- Sankei Web(スポーツ) 『元阪急ブレーブスの“鉄腕投手”野口二郎氏が死去』 — 産経新聞, 2007年5月21日
- nikkansports.com 『「鉄腕」野口二郎氏が死去』 — 日刊スポーツ, 2007年5月21日