訃報 赤塚不二夫氏 - ギャグ漫画で一世風靡

【2008年8月3日】 毎日新聞によると、漫画家赤塚不二夫氏(本名:赤塚藤雄)が8月2日16時55分(日本時間。UTC+9)、肺炎で死去した。72歳だった。赤塚氏は1997年に吐血。その後98年3月に食道癌を発表し摘出手術を行ったが、その後も急性硬膜下血腫脳内出血などの病気に襲われ、入退院を繰り返していた。

中国新聞によると、赤塚氏は旧満州(現・中国東北部)出身。終戦後同地から日本本土に引き上げ、中学卒業後は漫画家を目指して手塚治虫氏を慕って上京。石ノ森章太郎藤子不二雄の各氏らと「トキワ荘」で共同生活をしていた。

その後1956年に少女漫画『嵐をこえて』でプロデビューを果たし、1962年発表の『おそ松くん』で一躍ギャグ漫画家として注目され、『天才バカボン』『もーれつア太郎』などの人気作品や、「シェーッ!!」「これでいいのだ!!」といったギャグを生み出した。中国新聞と毎日新聞によると、主な受賞歴として1965年小学館漫画賞(おそ松くん)、1972年文芸春秋漫画賞(天才バカボン)、1997年日本漫画家協会賞・文部大臣賞、1998年紫綬褒章等がある。また2003年には青梅市に「青梅赤塚不二雄会館」が開設された。

また、日刊スポーツによると、死去前日の8月1日、赤塚作品のアニメテーマソングを集めたトリビュートアルバム「41歳の春だから」が9月24日に出版されることがわかった。これは「天才バカボン」のパパの年齢が41歳の設定であることと、「週刊少年マガジン」に赤塚氏の作品が初めて連載されてから41年を記念したもので、15曲が収録される。また付属のブックレット(説明書)には赤塚氏の住居に居候したことがあったタモリ氏のインタビューも掲載される。

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