【2006年2月10日】 読売新聞、日本経済新聞、朝日新聞、スポーツニッポンによると、元日本プロ野球読売巨人軍の投手・監督を務めた藤田元司さんが9日午後6時40分 (UTC+9) に東京都病院で心不全により死去した。74歳だった。

藤田さんは愛媛県・西条北高等学校、慶應義塾大学社会人野球日本石油の主力投手として活躍し、1956年に開かれた黒獅子旗・都市対抗社会人大会では日石優勝の原動力となった。

1957年に巨人軍入団。その年は17勝を挙げて新人賞を獲得。また1958年と59年にはそれぞれ29勝と27勝をマークして最高殊勲選手賞と59年には最多勝にも輝くなど、1950-60年代の巨人軍の投手陣を支えた。8年間の現役生活で119勝・88敗を記録した。

その後巨人軍の監督として1981年と89年の日本シリーズ優勝を達成するなど指導者としても定評があった。また野球解説者としても長らく活躍したが、ここ数年は腎臓を患っており、人工透析の手術を受けていた。

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