【2007年11月13日】 中日新聞によると西鉄(現・西武)ライオンズ投手として活躍した野球評論家稲尾和久さんが11月13日午前1時21分、悪性腫瘍(しゅよう)福岡市内病院で亡くなった。70歳だった。通夜は14日に行われ、告別式は22日に行われる予定。

日刊スポーツによると、稲尾さんは10月30日から病院に入院し検査を受けていたが11月13日に容態が悪化し、急死したという。当初は1週間程度の検査入院を予定していたが検査でも病名が特定できなかったため医者との相談で仕事をキャンセルしていた。

日本経済新聞によると稲尾さんは大分県別府市別府緑ヶ丘高校(現・芸術緑ヶ丘高校)卒。1956年に西鉄に入団し、この年21勝で新人王を獲得。1958年の日本シリーズ巨人との対戦では3連敗後の4連勝に全て連投し、第5試合にはサヨナラホームランを放つなど大活躍し、「神様仏様稲尾様」とたたえられた。その後1961年には年間最多勝利タイの42勝を挙げた。

また日刊によると、引退後は西鉄→太平洋クラブとロッテでそれぞれ監督、中日では投手コーチを務めていた他、野球解説者としても活躍。1993年には野球殿堂入りの表彰を受けた。2006年には野球選手人生50年を記念したパーティを開き、野球関係者らに「まだまだ元気でいたい。せめて孫たちとキャッチボールが出来れば」と語っていた。また今年の10月には稲尾さんの地元・別府市に完成した「稲尾記念館」と市民球場の落成式にも出席した。

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