訃報 田宮謙次郎氏 - 阪神、大毎の強打者

【2010年5月8日】 東京新聞によると、プロ野球で強打者として知られた田宮謙次郎氏(たみや・けんじろう)が5月5日午前10時42分(UTC+9)、脳内出血のため、茨城県内の病院で亡くなった。82歳だった。

スポーツニッポンによると、田宮氏は日本大学中退。1949年に阪神タイガースに投手として入り、1950年3月16日にあった国鉄(現・ヤクルト)スワローズ戦で9回2アウトまで完全試合に抑えたものの、その次の打者にヒットを許し完全試合を逃した。その後1952年に肩を痛めたため野手に移る。1958年には巨人軍の新人だった長嶋茂雄選手を抑えて首位打者(打率0.320)を記録した。1959年に10年選手制度によるトレードで大毎オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に移ってからもオリオンズの看板「ミサイル打線」の主軸として活躍。ベストナイン賞5回を記録した。引退後は東映→日拓フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)監督や台湾野球リーグの監督も努めた他、阪神タイガースOB会長も18年に渡って歴任した。

東京新聞の別の記事によると、田宮氏は茨城県筑西市少年野球団「田宮ボーイズ」を結成し、少年野球の育成・普及にも尽力した他、2000年には下館市市議会議員も務めていた。

地元での田宮氏記念野球大会は予定通り開催 編集

朝日新聞によると、田宮氏や地元の野球仲間らが企画した記念野球大会「田宮杯中学野球大会」は今年度30回大会の節目を迎え、5月9日から築西市とその周辺22チームの参加で開催する方向で準備していた。築西市軟式野球連盟前会長の大倉治吉さんは「田宮氏が今年は30回なので盛大にと、楽しみにしていた」と話している。この開幕日の5月9日は田宮氏の通夜が営まれるが、大会は予定通り行われる。

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