訃報 榎本喜八氏 - 元プロ野球選手 「安打製造機」「ミスターオリオンズ」
【2012年3月31日】
プロ野球毎日オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)で活躍、「安打製造機」の異名で知られた[注釈 1]榎本喜八氏が3月14日午前2時4分(UTC+9)、東京都新宿区[注釈 2]の病院で大腸癌のため死去した。75歳だった[1][2]。3月29日に死去が公表された[2]。
東京都出身。早稲田実業学校高等部在籍時代の1954年に甲子園大会に春・夏連続出場を果たす[1]。同校卒業後の1955年に毎日に入団。この年打率2割9分8厘・16本塁打を記録して新人王に選ばれた[1][2]。
その後は「ミサイル打線」と呼ばれたオリオンズの中心打者として山内一弘・田宮謙次郎両氏らとともに[注釈 3]活躍[1][2]。毎日から大毎→東京→ロッテと変化したすべてのオリオンズでプレーし、「ミスターオリオンズ」とも呼ばれた[2]。1960年に打率3割4分4厘、1966年に3割5分1厘でそれぞれ首位打者となり、1968年に史上3人目となる2000本安打を達成した[1]。
1972年に西鉄に移籍し、同年に現役引退。通算2314安打・打率2割9分8厘・246本塁打の記録を残した[1][2]。
榎本氏は、王貞治氏を指導したことで知られる荒川博氏の一番弟子であった[2]。打撃について徹底的に突き詰める性格であり、また現役末期には試合前に座禅を組むなどの奇妙な振る舞いをしたことでも知られた[1][2]。現役引退後は球界と距離を置き[1]、名球会の会合にも一切姿を見せることは無かった[2]。
注釈
編集情報源
編集本ニュースは「時事通信」および「デイリースポーツ」の以下の報道を情報源としている。