訃報 村木与四郎氏 - 黒澤明監督映画の美術監督
【2009年10月31日】
黒澤明監督のほぼ全ての映画作品で美術を担当し、米国アカデミー賞美術賞にもノミネートされた美術監督の村木与四郎(むらき・よしろう)氏が10月26日午後10時32分(UTC+9)、心不全のため東京都世田谷区の自宅で死去した。85歳だった[1][2][3][4]。
東京都生まれ。1946年に美術助手として東宝に入社[3]、1948年の『醉いどれ天使』において美術助手として初めて黒澤監督映画に参加。1954年に美術監督に昇進し、1955年の『生きものの記録』で初めて黒澤監督作品の美術監督を務める[1][2][3]。以降、旧ソ連で制作された『デルス・ウザーラ』を除く全ての黒澤監督映画の美術監督を務めた[1][3][4]また、1970年の『どですかでん』と1985年の『乱』では、妻の忍さんと共同で美術監督を担当した[3]。1980年の『影武者』や『乱』などで、アカデミー賞美術賞に4度ノミネートされた[2][3][4]。
黒澤監督作品以外の担当映画としては、『日本沈没』(森谷司郎監督、1973年)、『忠臣蔵 四十七人の刺客』(市川崑監督、1994年)、『雨あがる』(小泉堯史監督、2000年)[2][3]、アメリカ映画『トラ・トラ・トラ!』などがある[1]。毎日映画コンクール美術賞を3度受賞し[1]、1994年に紫綬褒章を受賞した[3]。
情報源
編集本ニュースは「毎日新聞」と「共同通信」、「朝日新聞」、「サンケイスポーツ」の以下の報道を情報源としている。
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 毎日jp 『訃報:村木与四郎さん85歳=黒澤映画の美術監督』 — 毎日新聞社, 2009年10月27日
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 47NEWS 『映画美術の村木与四郎さん死去 黒沢監督作品を担当』 — 共同通信, 2009年10月27日
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 asahi.com 『黒沢映画の美術監督・村木与四郎さん死去』 — 朝日新聞社, 2009年10月27日
- ↑ 4.0 4.1 4.2 SANSPO.COM 『村木与四郎さん死去、世界のクロサワ支えた』 — サンケイスポーツ, 2009年10月28日