【2005年9月21日】

読売新聞など報道機関各社が9月21日に伝えたところによると、政治家の後藤田正晴氏が9月19日午後8時53分、東京都内の病院で肺炎のため亡くなった。91歳。密葬は9月21日午前中、近親者のみで行った。

後藤田氏は徳島県出身。東京大学卒業。内務官僚、警察庁長官、田中角栄総理大臣時代には官房副長官を務めた。その後1976年衆議院選挙・徳島県全県区(当時)から自由民主党から立候補し初当選。

1979年には大平正芳総理大臣内閣に於ける自治大臣、北海道開発庁長官、1982年の中曽根靖弘総理大臣内閣時代には官房長官、総務庁長官などを歴任。また1992年には宮沢喜一総理大臣内閣の法務大臣と副総理(1993年4月から兼任)を務めた。

後藤田氏は1972年のあさま山荘事件の解決を指揮(山陰中央新報より)したほか、行政改革の推進等を行い、その政治手法は「カミソリの後藤田」と異名された。1996年に政治活動を引退してからは小泉純一郎総理大臣の政治手腕や自衛隊イラク派遣問題などに対する苦言なども行ったが、2005年夏ごろから体調を崩していた。

なお、自由民主党・徳島県第3区選出国会議員の後藤田正純氏は正晴氏の実兄の孫に当たる。

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