【2007年12月16日】 デイリースポーツによると、阪神タイガース星野仙一監督(現野球日本代表監督)時代にヘッドコーチを務めた島野育夫さんが12月15日午後9時5分、西宮市の病院で胃癌の為死去した。63歳。

日刊スポーツによると島野氏は明電舎を経て1963年に中日入団。その後1968年に南海(現・福岡ソフトバンク)に移籍。1973年には61盗塁をマークして俊足の外野手として鳴らした。1980年に阪神に移籍し、その年で現役を引退。その後は阪神と中日のヘッドコーチなどを歴任。デイリースポーツによると、2002年星野氏が中日から阪神の監督に移籍した際、自らも移籍。2003年の18年ぶりのセ・リーグ優勝に貢献した。星野氏の監督辞任後も島野氏は引き続きユニホームを着て岡田彰布監督を支えた。

中日スポーツとデイリーによると、その後島野氏は2軍監督に就任していた2006年4月に体調不良を訴え、検査した結果胃癌と判り、手術を行った後現場復帰。今シーズンは特命総合コーチに就任したが、来シーズンからユニホームを脱いでフロント(アドバイザー)就任が決定していた。しかしその後容体が悪化し再入院していたがそのまま死亡した。

中スポによると、星野氏は「今日(15日)会いに行ってよかった。元気じゃなかった。(島野氏が)苦しんでいたので「このヤマを越えろ。また野球をやろう」といってお別れをした。年齢は(星野氏から見て)2つ年上だが、山本浩二田淵幸一とは違い、何でも言い合える仲だった。12月の忙しい中で今日しかないという時に死んだ。何で死ぬ時まで気を使うんや。俺(星野氏)があの世に行った時「いいチーム作ったから。さぁやるで」というだろうな。野球人生で島野とめぐり会えて幸せだった」とコメントを残した。

なお、デイリーによると島野氏は自らがオーナーを勤める創作洋食料理の店「ビストロ島野」を12月5日に神戸市三宮にオープン させていたばかりだった。

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