訃報 山口仙二氏 - 核廃絶を世界に訴える

【2013年7月7日】 産経新聞と朝日新聞によると、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)元代表委員で、顧問の山口仙二(せんじ)氏が7月6日、肺炎で亡くなった。82歳だった。

山口氏は学徒動員された長崎市[1]にあった三菱兵器の大橋工場[2]原子力爆弾の被爆を受け、上半身に重い火傷を負った。その後もケロイドが残ったため13回にわたり手術を受け、入退院を繰り返した。

長崎新聞によると、アメリカ太平洋ビキニ環礁(かんしょう)で行った水素爆弾の実験がきっかけで起きた「第五福竜丸事件」以後、反核の世論が広まり、1955年第1回「原水爆禁止世界大会・広島大会」が開催されるのをきっかけに、「長崎原爆青年乙女の会」の前身となる「長崎原爆青年会」の設立にかかわると共に、あくる1956年には被爆者に対する国家補償の実現を目指す「長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)」設立にも携わった。

1982年に行われた「国連第2回軍縮特別総会」では日本の原爆被災者の代表として講演し、自らのケロイドの症状を物語る写真を紹介し「ノー・モア・広島、ノー・モア・長崎、ノー・モア・ウォー、ノー・モア・被爆者」と世界に訴えた。その後2003年にケロイドの悪化や肝機能障害、慢性ぜんそくなどにより雲仙市ケアーハウスに移り、寝たきり生活を送っていた。その間、2005年にノーベル平和賞候補にノミネート(推薦)されたほか、2010年には長崎新聞社が主催した「長崎新聞文化賞」を受賞している。

情報源

編集
  1. 産経より
  2. 朝日より