訂正:「山内一弘氏の死因について、公開当初「不全」とお伝えしておりましたが、正しくは「不全」でした。お詫びして訂正いたします。- 詳細 2021年4月21日 (水) 04:11 (UTC)


【2009年2月6日】

毎日新聞によると、プロ野球選手・指導者だった山内一弘さんが2月2日(UTC+9肝不全で死去した。76歳。

毎日新聞と読売新聞によると、山内さんは愛知県出身。起工業高等学校(おこしこうぎょう)から川島紡績(カワボウ)を経て1952年に毎日オリオンズ入団。以後毎日・大毎オリオンズ時代の「ミサイル打線」の中軸を務め、打点王4回、首位打者1回、ホームラン王2回を受賞した。その後1964年に小山正明さんとの交換トレードにより阪神タイガースに移籍したが、このときの移籍劇は「世紀の大トレード」といわれていた。その翌年1965年には当時の日本プロ野球で史上初となる通算300号ホームランを達成した。その後広島カープに移籍し1970年で現役を引退。その後は指導者として活躍し、1979年から81年のロッテオリオンズ監督時代には1980年と81年において前期戦(当時2シーズン制)優勝に輝いた。

通算成績は

  • 選手時代(実働19年) 2235試合打率0.295、396ホームラン、1286打点
  • 監督時代(実働6年) 336勝313敗63引き分け

毎日新聞の別の記事によると、「世紀の大トレード」の関係者である小山さんは「まさに野球人。山内さんが亡くなるのはちょっと早いのでは」とコメントを残した。トレードが決定されたとき、阪神電鉄での会見に2人が同席し、山内さんから「お互い頑張ろう」と声をかけられたことが今でも忘れられない記憶だという。また、大毎時代に監督として携わっていた西本幸雄さんは、「日本で5本の指に入る打者だった」と話した。「特に、内角球の打ち方は抜群で、膝で身体を回転させる打法は他の選手にまねが出来ない技だった」と回顧している。

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