【2006年3月22日】 日刊スポーツ、スポーツニッポン、中日新聞によると、日本作曲家宮川泰(みやがわ・ひろし)さんが、3月21日未明虚血性心不全のため東京都世田谷区の自宅で死去した。75歳だった。

中日とスポニチによると、宮川さんは北海道留萌市の出身。作曲家としてザ・ピーナッツをプロデュースし、「恋のバカンス」、「ウナ・セラ・ディー東京」などを手がけて、1964年には日本レコード大賞・作曲賞(ウナ・セラ・ディー東京で)を獲得。その後もアニメ宇宙戦艦ヤマト」のテーマソングなどを初めとしたヒット曲を多数作曲した。また宮川さんは長年「NHK紅白歌合戦」のエンディングの全員合唱「蛍の光」の指揮棒を振るなどの長年の業績を称えてNHK会長から感謝状が贈呈された。

日刊スポーツは、長男で作曲家・彬良(あきら)さん(45歳)の話として「宮川さんは20日、自宅近くで缶チューハイを10本購入するなどの買い物をしており、特に変わった様子は無かった」としている。しかし、妻(73歳)が午前10時過ぎになっても起床しなかったことを心配して様子を見たところ、体が冷たくなっていた。就寝直後の21日午前1時ごろに死亡したと見られている。

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