訃報 古橋広之進氏 - 戦後日本水泳界を牽引

【2009年8月3日】 毎日新聞、読売新聞によると、日本水泳界を長年にわたりリードし「フジヤマのトビウオ」という異名を持った古橋広之進氏が8月2日(UTC+2=イタリア夏時間。日本時間とは-7時間 以下同)、イタリア・ローマで急死した。80歳だった。

読売によると、古橋氏は同地で開催中の国際水泳連盟総会出席や、世界水泳選手権大会視察のために7月中旬から訪れていたが、8月1日深夜まで日本水泳連盟幹部と食事をした後、2日の朝の出発時間になっても姿を見えなかったため関係者が部屋を訪ねると古橋氏がベッドで死んでいたという。

毎日によると、古橋氏は日本が出場できなかった1948年のロンドン五輪と同時期に開催された日本選手権大会400m自由形で4分33秒4、1500m自由形で18分37秒の記録を叩き出したり、日本が国際水連に復帰した1949年に行われた全米選手権大会にも招待され、ここでも400m、800m、1500mのそれぞれの自由形で世界新記録を達成するなど、当時の世界記録を実に33も更新。アメリカのマスコミから「フジヤマのトビウオ」と賞賛された。

読売によると、現役を引退した後は日本水連会長、国際水連副会長、1990年から9年間はJOC日本五輪委員会2代目会長を務め、水泳のみならず、日本のスポーツ界に大きく貢献。2008年には日本のスポーツマンとして史上初の文化勲章受賞を果たした。

関係者コメント

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  • 47NEWSによると、現JOC会長の竹田恒和氏は古橋氏とともに東京五輪の2016年開催への誘致活動の一環としてローマを訪れており、ロビー活動をしていた。竹田氏は「本当に信じられない思いでいっぱい。我々の鏡であり、スポーツ界の誇りだった」と突然の訃報に動揺を隠し切れない表情だった。
  • 同じく47NEWSによると、IOC国際五輪委員会委員の岡野俊一郎氏は「残念でことばがない。日本スポーツ界にとって大きな損失。一番好きな水泳を見てなくなったのはある意味古橋さんらしい」と語っている。
  • また時事通信によると、日本バレーボール協会元会長の松平康隆氏は「先月(7月)も古橋さんがローマへ行く前に一緒に食事した。『やはり自由形で勝たなきゃ』といっていた。戦後アメリカに勝てるものが何もない時に古橋さんがアメリカに行って、しかも自由形で勝ったのが今でも心強く残っていたのだろう」と寄せている。
  • 同じく時事によると、競泳選手の北島康介氏は「戦後の日本水泳界、スポーツ界に多大な貢献をされ、国民に勇気と希望を与えた古橋先生がなくなったことを非常に残念に思います。常に競技会に足を運んで選手のレースを見守ってくれたことを思い出します。アテネ五輪で金メダルを取ったときの古橋先生の笑顔が忘れられません」と話した。

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