【2005年12月16日】

12月15‐16日の報道機関各社によると、日本プロ野球オリックス・バファローズで監督を務めた仰木彬(おおぎ・あきら)さんが15日日本時間16時10分、福岡市内の病院で呼吸不全のため亡くなった。70歳だった。

東京新聞によると、仰木さんは福岡県中間市の出身。県立東筑高等学校から1954年に西鉄ライオンズ(現・西武ライオンズ)に入り、当初は投手だったが、後に三原脩監督の勧めで二塁手として西鉄の1956-58年の3連覇を含む黄金時代に貢献。1967年の引退後も2年間西鉄に残り、コーチとして活躍。その後、1970年から近鉄バファローズのコーチ・監督を歴任。1989年にはパシフィック・リーグ優勝に導いた。

その後野球評論家を経て、1994年にオリックス・ブルーウェーブ(現・オリックス・バファローズ)の監督となる。この年200安打を達成したイチロー(鈴木一朗)選手の素質を見出した他、1995年と1996年のパ・リーグ連覇と1996年の日本一に貢献。その采配ぶりは「仰木マジック」と呼ばれた。2001年に退任し、野球評論家となり、2004年には野球殿堂入り。2005年に近鉄と合併したオリックスの監督に再度就任し、チームをプレーオフ戦線に躍進させるなど再び「仰木マジック」を見せ付けたが、体調上の理由で1年で引退し、チームシニアアドバイザーに就任したばかりだった。

また、スポーツニッポンによると、最後の1年間監督を務めたオリックス球団は12月16日未明に神戸市内の球団事務所で記者会見を開き、中村勝広現監督が「秋季キャンプ前日、監督としての心構えを話してくれた電話が忘れられなかった。来年(2006年)は弔いの年にしたい。」とコメントしている。

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