訃報 五代目三遊亭円楽氏
【2009年10月31日】
共同通信(47NEWS)、読売新聞によると、人気テレビ番組の「笑点」の司会者として親しまれた落語家の五代目三遊亭円楽[注釈 1](さんゆうてい・えんらく、本名は吉河寛海 = よしかわ・ひろうみ)氏が、10月29日午前(UTC+9 以下同)、肺がんのため東京都内の自宅で亡くなった。76歳[1][2]。
共同通信と時事通信によると、円楽氏は2005年に脳梗塞で倒れ、翌2006年に笑点の司会を勇退。2007年2月に国立演芸場での高座で演じた「芝浜」を最後に落語家からも引退していた[1][3]。
落語家として
編集共同通信、読売新聞によると、円楽氏は1955年に六代目三遊亭円生[注釈 2]氏に入門[1][2]し、三遊亭全生(さんゆうてい・ぜんしょう)と名乗った[2]。1958年に二つ目[2]、1965年に真打ちに昇進した際に、五代目円楽を襲名[1][2]。
読売新聞によると、1960年代には立川談志氏、古今亭志ん朝氏、橘家円蔵氏と共に寄席四天王として落語ブームを引っ張った[2]。
共同通信、読売新聞によると、1978年には真打ち制度のあり方を巡って[1]、師匠の円生氏と落語協会を脱退し、円生氏が亡くなった後は弟子たちを率い円楽一門会として活動した[1][2]。
笑点メンバーが悲しみのコメント
編集円楽氏の死去に際して「笑点」を勇退する直前まで一緒だったメンバーのコメントが読売新聞に寄せられている。[4]
- 古くからの付き合いがあり、円楽氏から笑点司会を引き継いでいた桂歌丸氏。
- 「『笑点』が始まる前からの付き合いで、共に貧乏や苦しいことを乗り越え、落語や番組のことでたくさん話し合った仲でした。古典をきちんとしていたし、落語家のお手本のような人。落語界にとっても大変な損失」
- 弟子の三遊亭楽太郎氏。円楽氏が死去した際は「博多・天神落語祭り」のために福岡へ移動していた。
- 「師匠の急変に間に合わなかった事が、弟子として断腸の思いです。来年3月の円楽襲名に師匠である五代目がいない事、さみしさと重い責任を感じています」
- 弟子の三遊亭好楽氏。円楽氏を亡くなる前日(28日)に見舞いに訪れていた。
- 「広い視野、堂々たる芸で、落語界の格式を上げることに力を尽くした人だった」
- 三遊亭小遊三氏。
- 「豪快な芸風で、ああいう芸をしないといけないと思って見てきた。芸の道について、当初は『何でも受ければいいってもんじゃないよ』と言われたことを覚えている」
- 林家木久扇氏。
- 「入門した時、楽屋で会って以来、49年間の付き合い。落語界のお父さんのような存在だった」