訃報 中山悌一氏 - バリトン歌手、声楽家団体「二期会」創設者

【2009年10月2日】

毎日新聞・朝日新聞・時事通信によると、バリトン歌手として活躍し、声楽家団体「二期会」を創設した中山悌一(なかやま・ていいち)氏が9月29日(UTC+9)、老衰のため東京都内で死去した。89歳だった[1][2][3]

大分市に生まれ、東京音楽学校(現:東京芸術大学)を卒業[1][2][3]。後にドイツミュンヘン留学し、ゲルハルト・ヒュッシュに師事した[2]。留学前の1952年に日本でのオペラ公演を目指してソプラノ歌手・三宅春恵らと共に「二期会」を結成[1]。1956年の帰国後は同会の理事長を務め[1]、1970年からはオペラ総監督も務めた[2][3]ワーグナーのオペラ『ニーベルングの指環』の日本人による初演を成功させるなど[2]、意欲的に日本でのオペラ公演を推進した[1]

自身は歌曲を専門とし、特にシューベルトの『冬の旅』の歌唱は国際的に評価されている。1950年、1958年に毎日音楽賞(現:毎日芸術賞)を受賞した[1]

情報源

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  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 毎日jp 『訃報:中山悌一さん89歳=バリトン歌手、二期会創設者』 — 毎日新聞社, 2009年9月30日
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 asahi.com 『二期会創設の中山悌一さん死去 バリトン歌手 89歳』 — 朝日新聞社, 2009年9月30日
  3. 3.0 3.1 3.2 時事ドットコム 『中山悌一氏死去(声楽家、東京二期会顧問)』 — 時事通信社, 2009年9月30日