【2005年9月19日】

日本を代表する大手スーパーマーケットの全国チェーン・ダイエーの創業者・中内功氏(功は「工」偏に「刀」)が9月19日死去したと、流通科学大学などを運営する学校法人・中内学園が発表した。報道各社が伝えた。それによると、中内氏は午前9時30分に脳梗塞のため死去した。83歳だった。

中内氏は1957年に大阪市にドラッグストア形式の「主婦の店・ダイエー」の第1号店を開店させ、以後、アメリカ流のセルフ販売方式によるスーパーマーケットの運営方式を取り入れ、また「よい品をドンドン安く!!」をモットーとした小売価格の安値販売を定着させるきっかけを作った。1972年には百貨店三越を抜いて小売業の売上高でトップに躍進させた。

その後企業の買収・合併 (M&A) により、スーパーを中心とした多角経営を展開。その中には忠実屋、ユニードといった地方のスーパーマーケットや、出版社・リクルート、ミシンメーカー・リッカーなどがある。

だが、バブル崩壊や多角経営による負債で経営環境が悪化し、2001年にその責任をとる形で経営の第一線を退き、その後は流通科学大学学園長を務めていた。9月17日に脳梗塞による意識不明の重体となったことを息子である中内潤氏が明らかにしていた。

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