藤原宮跡の「最古の大嘗宮跡」は誤認 - 奈良文化財研究所が調査結果を撤回
【2010年11月18日】
産経新聞によると、奈良文化財研究所は、藤原宮(694~710年。奈良県橿原市)跡から2010年7月(UTC+9)に、天皇が即位儀礼を行う大嘗宮である可能性のある建物跡などが発見されたとの発表内容が「全面的に誤り」であるとする異例の訂正発表を、11月18日に行った。
読売新聞によると、同研究所は、平城宮跡の発掘などを行っている日本国内有数の発掘調査組織で、同研究所が調査成果を撤回することは異例のこととなる。産経新聞によれば、入所2年目の若手研究員を中心とする3人が作業に当たったが、誤認した模様で、考古学の信頼性に対して疑問が投げ掛けられる事態に発展する可能性がある。
産経新聞が同研究所の話として伝えたところによると、研究員の1人は、「『現時点ではこう考える』という試案段階で発表してしまった」と話している。
産経新聞によると、7月の発表に於いては、建物跡や四方を囲う塀跡と門跡を確認したとし、「平城宮の大嘗宮跡と類似した構造である」と説明。建物や塀の構成要素である柱穴が42基存在するとしたが、実際には藤原宮があった時代のものである柱穴は1基のみだった。また、発表時点では、後世の水田耕作によって生じた溝の断面部分の土の色の相違点などを手掛かりに「柱穴」であると特定したが、石敷きを外しての確認は実施しておらず、同研究所は「異なる土が複雑に混合し合っていたことなどの影響で確認しづらかった」と釈明。発表前に幹部らがチェックしたものの、確認できなかった。
産経新聞によると、藤原宮に於いては、文武天皇と元明天皇が即位し、その際に大嘗祭を営んだことが『続日本紀』に記されているが、考古学的には未確認であり、調査の主眼は「最古の大嘗宮」そのものの発見に置かれていた。
読売新聞によると、同研究所は、平城宮跡では大嘗宮跡が発見されていることから、藤原宮跡にも存在するとの仮説を立てた上で調査に臨んだが、6月に降雨が続いて作業の進捗状況が芳しくないまま発表し、現地説明会も実施したという。
産経新聞によると、深沢芳樹・同研究所都城発掘調査部長は、「平城宮の大嘗宮跡は念頭にはあったものの、先入観で特定したわけではない。修正してお詫びしたい」とコメントしている。
情報源
編集- MSN産経ニュース 『【遺跡誤認】藤原宮跡「大嘗宮」はなかった! 奈良文研「全面的に誤り」 42の柱穴、実は1つだけ…』 — 産経新聞社, 2010年11月18日
- YOMIURI ONLINE 『「最古の大嘗宮跡」発見は誤認?調査成果撤回』 — 読売新聞社, 2010年11月18日