第82回東京優駿はドゥラメンテとミルコ・デムーロが勝利、東京優駿と前田長吉の「再会」が果たされる
【2015年6月10日】
第82回東京優駿(日本ダービー)が2015年5月31日に東京競馬場で行われ、1番人気のドゥラメンテ(牡3歳)が優勝した[1]。騎手はミルコ・デムーロで調教師は堀宣行。ドゥラメンテの馬主はサンデーレーシングでドゥラメンテの生産牧場はノーザンファームである[1]。JRAが公表している2015年度の重賞・オープン特別競走のレーティングでは、ドゥラメンテのレーティングは121ポンド、東京優駿としてのレースレーティングは117.25ポンドと評価された[2]。
更なる記録として、2005年にディープインパクトが記録したレースタイムを0秒1上回る「ダービーレコード」の2分23秒2を、ドゥラメンテが刻み込んだ[3]。ドゥラメンテは皐月賞で大斜行する一幕もあり情報源のSponichi Annexで「希代の癖馬」と評されるような不安定感も漂っていたものの、今回東京優駿を制覇出来たことによりデムーロ騎手は「本当に強い。どんなレースでも勝てるチャンスがある。勝ちたい」とドゥラメンテへの信頼をより一層篤くした[4]。なおドゥラメンテは皐月賞を勝利したタイミングで凱旋門賞への一次登録を済ませており、今後は凱旋門賞へドゥラメンテが挑戦する展開も見えてきた[3]。
デムーロ騎手が東京優駿を制したのは、2003年にネオユニヴァースで勝利して以来の2勝目となり、2度の騎手試験を経てデムーロ騎手が今年2月に正式なJRA所属の「日本の騎手」となってから早速の東京優駿制覇となった[4]。デムーロ騎手は「ネオの時は“ガイジン”騎手だったが、今回は“日本の騎手”として勝てた。日本の騎手になれたという実感が、あらためて湧いた」と語り、嬉しさを表した[4]。
-
出場馬と騎手の本馬場入場。CC BY-SA 4.0
-
第82回東京優駿がスタートした瞬間。CC BY-SA 4.0
-
勝利馬のドゥラメンテと馬上で「ヒコーキ」ポーズをとるミルコ・デムーロ騎手。CC BY-SA 4.0
-
優勝レイを着装した勝利馬ドゥラメンテ。CC BY-SA 4.0
-
優勝馬用の馬着を着装した勝利馬ドゥラメンテ。CC BY-SA 4.0
東京優駿と前田長吉の「再会」
編集今回の東京優駿に先立ち、JRA競馬博物館で4月25日から特別展「伝説の騎手・前田長吉の生涯」が開催された[5]。今回の特別展は6月28日まで開催される[5]。前田長吉は20歳3か月という「史上最年少の若さ」で1943年に行われた第12回東京優駿をクリフジで制した騎手である[5]。しかしながら前田長吉はシベリア抑留によって1946年2月に23歳の若さで早逝し、戦時中ということもあって前田長吉にまつわる資料がほとんど存在しないことから、謎の部分が多い「伝説の騎手」として前田長吉は位置付けられている[5]。
前述の通り前田長吉はすでに故人であるが、トークイベントを通じて長吉の孫により長吉の遺影という形ではあるが、東京優駿との「再会」が果たされた[6]。 東京優駿が終わったのち、長吉の孫からトークイベントの相方を務めた作家の島田明宏へ宛てたメールにはこう記されていた[6]。
「ダービー、素晴らしかったです[6]」
情報源
編集- ↑ 1.0 1.1 谷川善久 『第82回 東京優駿(日本ダービー)』 — 日本中央競馬会,
- ↑ 『データファイル - レーティング&ランキング - 重賞競走等レーティング - 東京優駿(GI)(第82回日本ダービー)』 — 日本中央競馬会,
- ↑ 3.0 3.1 デイリースポーツ 『ドゥラメンテ二冠達成、今後について堀師「オーナーと相談してから」/日本ダービー』 — netkeiba.com, 2015年6月1日
- ↑ 4.0 4.1 4.2 『【日本ダービー】ドゥラ ミルコ男泣きV「日本の騎手になれた」』 — スポーツニッポン, 2015年6月1日
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 『伝説の騎手・前田長吉の生涯』 — JRA競馬博物館, 2015年5月31日
- ↑ 6.0 6.1 6.2 島田明宏 『前田長吉と見たダービー』 — netkeiba.com, 2015年6月6日
外部リンク
編集- 『2015 日本ダービー』 — 日本中央競馬会, 2015年5月31日