日本航空機と海保機が羽田空港の滑走路上で衝突、炎上
【2024年1月3日】
2024年1月2日17時47分(日本時間)に東京国際空港(羽田空港)C滑走路へ着陸した新千歳空港発の日本航空機と、令和6年能登半島地震に際して物資輸送のため離陸準備中だった海上保安庁の航空機が衝突し、炎上した[1][2][3]。消火のため東京消防庁115隊が出動し、21時35分に海上保安庁機が鎮圧・鎮火、日本航空機は23時50分に鎮圧、翌3日午前2時15分に鎮火した[2]。
日本航空機は、新千歳空港を2日16時15分に出発、17時47分に着陸したJL516便でエアバスA350型機で運航していた[1][2][3]。衝突後は、炎上したまま滑走路を北に向けて約1キロメートル滑走し停止した[3]。この機体には、幼児8名を含む乗客367名、乗員12名が搭乗していた[3]。これら379名は全員が3か所の非常脱出口から機体の外に脱出・避難したが、14名が負傷、そのうち4名が救急搬送された[2][4]。
国土交通省が確認したところ、管制官からは日本航空機に対して滑走路への進入許可が出ていた一方、海上保安庁機に対しては滑走路手前まで走行するよう指示が出されていた[4]。また、日本航空機の乗務員は社内の聞き取りに対して、「管制からの着陸許可を認識し、復唱したあと、進入、着陸操作を実施した」と説明した[1][4]。
もう一方の海上保安庁機は、第三管区海上保安本部羽田航空基地所属のボンバルディアDHC-8型機(通称 MA722機)で、6名が搭乗していたが、機長を除く5名が死亡、機長も重篤の状態で搬送された[2][3]。この機は、1日に発生した令和6年能登半島地震の発生に伴い、物資を搬送するため、予定では2日16時45分に出発し、17時55分に新潟空港に到着する計画だった[3]。海上保安庁機の機長も、日本航空機の乗務員と同様に「管制官から離陸の許可が出ていた」と話した[5]。
その後、羽田空港は4本ある滑走路全てを閉鎖したが、2日21時半ごろにC滑走路以外の利用を再開した[3]。
また、事故を受け、日本航空では、2日が国内線と国際線合わせて119便が欠航し[6]、3日は羽田空港を発着する国内線のうち午前中の便を中心に50便が欠航した[7]。
全日空では、2日の国内線118便が欠航した[6]。このうち滑走路閉鎖によるものが110便、1日に発生した「令和6年能登半島地震」の影響によるものが8便となった[6]。3日は羽田空港を発着する49便、羽田空港以外を発着する5便の合わせて54便と国際線の1便の欠航を決めましたが、札幌・佐賀・長崎・那覇と羽田空港を結ぶ9便を臨時で運航すると発表した[7]。
3日は2社以外にも、スカイマークは羽田空港発着の4便、エア・ドゥが7便、ソラシドエアが1便の欠航を決定した。一方、ピーチ・アビエーションは台湾と結ぶ国際線の6便を通常どおり運航する予定とした[7]。
情報源
- ↑ 1.0 1.1 1.2 『日航乗務員、管制許可を復唱 警視庁、羽田の現場滑走路検証へ』 — 共同通信社, 2024年1月3日11時06分 (UTC+9)
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 『羽田空港における航空機火災による被害及び消防機関等の対応状況(第4報)』 — 総務省消防庁, 2024年1月3日8時00分 (UTC+9)
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 『日航機、海保機と衝突炎上 379人全員脱出、隊員5人死亡―東京・羽田空港』 — 時事通信, 2024年1月3日0時30分 (UTC+9)
- ↑ 4.0 4.1 4.2 『乗客全員の脱出「奇跡」 航空機衝突で米英メディア』 — 日本放送協会, 2024年1月3日6時39分 (UTC+9)
- ↑ 『【速報】海保の男性機長「管制官から離陸許可が出ていた」と話す 日航機と海保機の衝突事故めぐり主張食い違う』 — TBS NEWS DIG, 2024年1月3日14時26分 (UTC+9)
- ↑ 6.0 6.1 6.2 『JAL、2日は影響2万人超、羽田事故で欠航119便』 — Aviation Wire, 2024年1月2日23時45分 (UTC+9)
- ↑ 7.0 7.1 7.2 『羽田空港事故 航空各社 100便以上欠航』 — 日本放送協会, 2024年1月3日11時25分 (UTC+9)