日本人大リーガーのパイオニア・野茂投手引退を発表
訂正:この記事において、当初「1996年と2001年には2回にわたりノーヒットノーランを達成。」と報じた内容は「1996年・2001年にそれぞれ1回、ノーヒットノーランを達成。」との誤りでした。お詫びして訂正いたします。2008年8月3日17時57分08秒 (UTC)
【2008年7月19日】
毎日新聞によると、日本人の大リーガーのパイオニア的な選手として活躍した野茂英雄投手(39歳)が7月17日(日本時間 UTC+9)、自らの公式ホームページにて現役選手を引退する事を公表した。
フランス通信(AFP)によると、野茂さんは共同通信社のインタビューに「自分の中では(選手を)やりたいが、プロ選手としてお客さんに見せるパフォーマンスは出せないと思うし、同じ様に思ってる球団も多いと思う」と引退について語った。
毎日新聞によると野茂さんは大阪・成城工業高校から社会人実業団チームの新日鉄堺でプレー。1988年にあった都市対抗では新人賞に当たる「若獅子賞」を獲得。またその年のソウル五輪日本代表としても銀メダル獲得に貢献した後、1990年のプロ野球ドラフト1位で近鉄に入団。身体を大きくひねって投げる「トルネード投法」で同年の新人賞や、4年連続最多勝、最多奪三振賞のタイトルを取った。
1994年の閉幕後、任意引退という形で近鉄から大リーグ・ドジャースに移籍。1995年には13勝をあげて新人賞。また、1996年・2001年にそれぞれ1回、ノーヒットノーランを達成。それも大リーグ4人目のナショナル・アメリカンの2つのリーグ両方で達成というものだった。また朝日新聞によると、デビルレイズにいた2005年には日米の通算で200勝投手になった。現役通算成績は日本で78勝46敗1セーブ、大リーグで123勝109敗。
朝日新聞によると、2008年度の野茂さんはまずロイヤルズとマイナー契約を結んだが、4月5日にメジャーに昇格した。しかし球威が衰え、3試合で防御率18.69と低迷した事から4月20日に戦力外を受けた。毎日新聞によると、その後現役続行の道を探ったものの獲得に乗り出した球団はなく、引退を決意したとされている。
時事通信によると、野茂さんの引退についてはアメリカのロサンゼルスタイムズやカナダのナショナルポストといった新聞の電子版などで大きく取り上げていた。
出典
編集- 野茂英雄氏本人 『現役引退』 — BALLPLAYERS.jp, 2008年7月17日
- 毎日jp(村田隆和) 『野球:野茂英雄が現役引退 HPで表明 日米で201勝』 — 毎日新聞, 2008年7月18日
- asahi.com 『野茂投手引退 大リーグ活躍の先駆者、日米201勝』 — 朝日新聞, 2008年7月17日
- 時事ドットコム 『野茂の引退、各国メディアも報道』 — 時事通信社, 2008年7月18日
- AFP BB NEWS 『野茂投手、現役引退を発表 日米通算201勝』 — フランス通信, 2008年7月18日