北海道の別海町で41回目の「馬事競技大会」が開催される - 繋駕速歩競走や騎乗速歩競走も行われる

【2014年10月5日】

9月20日から21日の2日間にかけて北海道別海町で、草競馬となる「馬事競技大会」が、農村広場の馬事競技場で行われた[1][2][3]

別海町で行われている「馬事競技大会」は、根室管内において唯一現存してきた大会であり、今年で41回目を迎える[1]。「馬事競技大会」は、別海町のイベントである「第45回別海町産業祭」の催し物として企画された[2]。なお馬産振興を目的として補助金も交付されている[1]根釧地方では開拓に農耕馬が必須となる過酷な環境であった事情から馬産が盛んであり、約5,000頭の馬が生活を共にしていたという[1]。なかでも、根室の馬産では昆布の運搬を行う駄馬の生産が盛んに行われていた。また軍用馬の生産にも携わっていたという[1]

「馬事競技大会」は道内一の規模を誇る草競馬大会であり[1]、土曜日の部「乗馬競技」全17競走と日曜日の「輓曳競技」全21競走に分けて行われ、合計で38競走が組まれた[3]。出場馬は道内各地から約130頭が集った[1]。馬事競技場は、一周1,000mのダートコースがある[3]。さらにその中へばんえいコースが併設されており[3]、形態としてはかつての旭川競馬場岩見沢競馬場に似たタイプであると、当記事の情報源「netkeiba.com」の執筆者である田中哲実氏は形容する[3]。今回「馬事競技大会」の実況を行ったのは、道内のばんえい草競馬でも実況実績を持つ迫田栄重アナウンサーが担当した[3]

「乗馬競技」では「平地競走」のみならず、「速歩競走(騎乗速歩競走)」や「繋駕速歩競走」も行われた。「日本一競技人口の少ない種目」との異名もある繋駕速歩競走は、現代の日本においては道東でしか見る機会は存在しないと田中哲実氏はアピールしている[3]。午前中に速歩競走に出走していたトロッターたちの中には、午後の繋駕速歩競走にも出場してくる馬もいた[3]。参加したトロッターの中には、速歩競走と繋駕速歩競走、さらには各クラスの全出走馬を集めた最終の第17競走にまで出走する、ダブルヘッダーならぬトリプルヘッダーまで果たした馬もいた[3]

草競馬の環境をとりまく厳しさについて触れておく。根室市でもかつて草競馬が行われていたが、2009年を最後に開催が途絶えた[1]。背景として生産者が約10戸以下にまで減少したことを、当記事の情報源「朝日新聞デジタル」の執筆者である六分一真史氏が記している[1]。さらに道東全体を見渡しても、標津町中標津町の連合大会が昨年2013年を以って休止の憂き目に遭っている[1]。運営資金の調達がまとまらないことや、運営側の高齢化が進んで人手確保がしづらくなっているということもあるが何よりも、草競馬大会へ出場してくる馬が年を追う毎に減少してきていたことが最も大きな要因であると、田中哲実氏は指摘している[3]。田中哲実氏は更に指摘を連ね、サラブレッドの一大生産地である日高地方においても草競馬の開催が現在に至るまで続いているのは、浦河町の「浦河競馬祭」のみであることを挙げ[3]、「草競馬そのものが絶滅危惧種と言えそうだ」とまで評している[3]

草競馬をとりまく事情に触れたが、「第45回別海町産業祭」として行われた事もあり、当記事では祭りの魅力についても触れておく。「第45回別海町産業祭」は別海町の総力を結集した祭りであり、露店が多く出店されて蟹やサンマなどの海産物が店頭を彩った。また「酪農の町」でもある側面を活かして、さまざまなチーズを並べる店も在った[3]。会場では学校などの団体による演し物も積極的に行われ、祭りならではの活況を呈した[3]。一方で芝生に寝そべりながら草競馬の観戦に勤しむファンの姿も見受けられ[1]、会場に訪れた人々は自分なりの時間を、思い思いに過ごしていった。

情報源

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  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 六分一真史 『北海道)開拓の歴史伝える草競馬、別海で今年も開催』 — 朝日新聞, 2014年9月22日
  2. 2.0 2.1 第45回別海町産業祭』 — 北海道バリュースコープ,
  3. 3.00 3.01 3.02 3.03 3.04 3.05 3.06 3.07 3.08 3.09 3.10 3.11 3.12 3.13 田中哲実 『別海町草競馬』 — netkeiba.com, 2014年9月24日

外部リンク

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