元タレント・飯島愛さんが急死


訂正:当初「飯島さんが倒れているのを発見した知人の女性とは数日前から連絡が取れておらず」と報じておりましたが、これは「知人女性が飯島さんとは数日前から連絡が取れていなかった」の誤りでした。また、「飯島さんは神田さんが2007年10月に結婚式を挙げたときにも神田さんに祝福をしてもらっていた」とも報じていましたが、これは飯島さんが神田さんを祝福したことの誤りでした。訂正してお詫びいたします。>>詳細 - 2009年2月28日 (土) 08:46 (UTC)


【2008年12月25日】

Wikipedia
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ウィキペディア飯島愛さんに関する記事があります。

毎日新聞によると、元タレント飯島愛さん(36歳)が12月24日午後4時ごろ(UTC+9)、東京都渋谷区の自宅マンションで亡くなっていたのが発見された。警視庁渋谷警察署は外傷が見当たらないとして、自殺か病死とみて死因を調べている。

読売新聞によると、飯島さんは自宅のリビングでうつぶせの状態になって倒れていた。毎日新聞と読売新聞によると、発見者は飯島さんの知人の女性。知人女性は、数日間飯島さんと連絡が取れなかったため、マンションの管理人に鍵を開けてもらって飯島さんの自宅に入ったという[注釈 1]。読売新聞によると、その後救急隊員が駆けつけたが既に飯島さんは死亡していた。警視庁では12月25日にも遺体を解剖して死因を調べるとしている。

毎日新聞と読売新聞によると、飯島さんはバラエティ番組などで活躍。読売新聞によれば、ホステスの経験やアダルトビデオ出演の経験などを記した自伝プラトニック・セックス』はミリオンセラー[注釈 2]。同書内でも使われた「ワタシ的には」は2000年の新語・流行語大賞のトップテンに入った。毎日新聞と読売新聞によると、その後体調不良を理由として2007年3月で芸能界から引退。毎日新聞によれば、2008年2月に自らのブログで「ノイローゼで病院に通院している」ことを告白した。読売新聞によれば、12月6日には宇都宮市で行われた「世界エイズデー」のキャンペーンに出演していた[注釈 3]

自宅マンションは騒然

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スポーツニッポンによると、日本テレビが飯島さん急死の第1報を報じた午後4時半ごろから報道関係者が多数つめかけ、マンションの周辺住民も集まるなど騒然とした雰囲気に包まれていた。スポニチのインタビューに答えたマンションのある住人は「(飯島さんが)隣に住んでいたことも知らなかった」、別の住人は「午後4時ごろ救急車が来るのを見た」と話した。またデイリースポーツによると、亀戸のマンションにある飯島さんの実家はノックや呼びかけに一切応えることがなかった。また、飯島さんの訃報を聞いた近くの住民は驚きを隠せないでいた。

芸能界にも衝撃

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日刊スポーツによると、テリー伊藤氏は「共演したテレビ番組『サンデージャポン』で1週間の出来事について話したとき、頭がよく、それが自分の持ち味と自覚していた」と振り返り、11月に電話で会話した時も「早く芸能界に戻って来いといったんです。社交辞令ではなく、芸能界には彼女(飯島さん)に代わる存在がないから。本当に残念です…」と語った。

神田うのさんも「亡くなっただなんて、今でも信じられません」とショックを隠しきれなかった。神田さんが2007年10月に結婚式を挙げたときにも、神田さんは飯島さんに祝福をしてもらっていた。神田さんと飯島さんの最後の会話は2008年7月。「(神田さんが、神田さんの)夫とハワイに行った際、電話をもらいました。6月のショーの招待状を送ったのですが、返事がなかったのです。(飯島さんからの返事は)『ずっと気づかなかったの』というものでした」と語っている。

注釈

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  1. 読売新聞によれば、知人女性が飯島さんの自宅に入った経緯については、渋谷警察署副署長による話である。
  2. 毎日新聞によれば、自伝『プラトニック・セックス』は150万部を超えている。
  3. 毎日新聞によれば、トークショーに出演していた。

出典

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