ヨハネ・パウロ2世の最後の言葉、公開される

【2005年9月24日】

前ローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世(参考)

4月2日に亡くなった前ローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世の最期が、バチカンから発行された出版物により明らかになった。それによると教皇の最後の言葉は「私を父の家に行かせてください」だった。

前教皇の死の5ヶ月後、バチカンはヨハネ・パウロ2世についての文書を一冊の本にまとめて発表した。AP通信によれば、バチカンの公式定期刊行物の付録扱いとなっている。この本は、教皇の最後の数週間を扱い、報道機関によれば220ページ、カトリック系ニュースサイトなどによれば223ページ。その中で、教皇が最後に語った言葉が始めて明らかにされた。ヨハネ・パウロ2世はこの言葉を、母語であるポーランド語で語った。カトリック系のニュースサイト「カトリック・ニュースサービス」はこの言葉を祈りだとしている。その6時間後、欧州中央夏時間午後9時37分(UTC+2、日本時間3日午前4時37分)に教皇はバチカンでの住居である教皇宮殿の自室で息を引き取った。午後7時ごろ、教皇は昏睡状態に陥った。前教皇に長年仕えた秘書官の証言によると、この言葉を聞いたのは、教皇の病床に付き添っていた修道女ひとりだった。そのとき、部屋はほとんど暗く、ポーランドの習慣に従って、小さいろうそくが点されていただけだった。

バチカンから今回出版された本では、2005年1月31日から死去までのヨハネ・パウロ2世の病状が記されている。1月31日、前教皇はインフルエンザを理由に謁見を取り消した。これは教皇がすべての謁見を取りやめた最初の日である。この本は、それ以後のヨハネ・パウロ2世の病状を、時系列に沿って取り扱っている。

このような形で教皇の死の詳細がカトリック教会から示されたことは未だかつてなかった。出版の理由として、バチカンのスポークスマンは、教皇庁上層部が憶測を防ぐことを望んだと述べた。教皇の死因は、さまざまな憶測の種となり、真の死因探しがたびたび行われてきた。とくにヨハネ・パウロ2世の先代にあたるヨハネ・パウロ1世の場合が著しい。ヨハネ・パウロ1世は在位33日でバチカンの住居で亡くなっている。死因は病死と公表されたが、たびたび暗殺説が流れている。

ドイツ語版ウィキニュースの翻訳に基づきます。

出典


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