チリ、サンティアゴでクーデター32周年記念デモが暴動に発展

【2005年9月13日】 チリの首都サンティアゴで9月11日(チリ時間、UTC-4)、1973年9月11日の軍事クーデターを記憶し抗議するデモが行われたが、警官と衝突し暴動に発展した。

11日のサンティアゴでのデモには数千人が参加し、アウグスト・ピノチェト元大統領による軍政政権下での犠牲者を悼んだ。少なくとも9,000人が参加し、3kmにわたるデモ行進をサンティアゴ中央墓地まで行った。多くのデモ参加者は、サルバドール・アジェンデ元大統領の写真や、共産党を含む左翼政党の旗を掲げた。1973年9月11日にピノチェト将軍が起こした軍事クーデターでは、アジェンデ元大統領が、大統領宮殿で殺害されている。

デモは軍政下の犠牲に対し法による公正を要求するとともに、リカルド・ラゴス現大統領が最近下した、人権侵害で有罪判決を受けた将校数人に恩赦を与える決定を批判した。 ある第三者機関による1990年の調査では、1973年から1990年までのピノチェト軍政下で、3,000人以上が政治的理由で死刑になっている。

暴動はデモ行進が墓地に到着する前からはじまっていた。また墓地についたデモ隊が警官に投石したと伝えられている。警官隊はデモ隊に対して高圧放水機と催涙ガスを使用した。チリの中道左派政府は、デモ隊に混じっていた無政府主義者に暴動の発生の責任があるとしている。

11日夕方遅く、デモ隊はバリケードを作り、いくつかの街路を封鎖した。警察の発表によると、デモに参加した17歳の少年1人が頭部に銃弾を受け、死亡した。発砲が誰によるものかは明らかにされていない。警察は治安維持のため、87人を拘束した。また21人の警察官が負傷した。

ドイツ語ウィキニュースからの翻訳に基きます。

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