タイ南部・タクバイ事件から1年、遺族に賠償を求める動き

【2005年10月26日】

昨年10月25日、タイ南部タクバイ(タークバイ)の警察署で陸軍に拘留された78人が窒息死するに至った通称タクバイ事件から、1年が経った。遺族の一部が、パッターニー県裁判所に8,000万バーツ(約200万米ドル)の賠償を求める訴訟を計画している。

遺族側のウット・ブエラヘング弁護士は、勝訴に確信をもっている。事件の捜査は、事件にかかわった軍上層部に対する懲戒処分に至っている。

この訴訟の対象となるのは、タイ国防省、陸軍、警察、内務省、ナラーティワート県当局の予定である。今週はじめ、タクバイ事件に関する別の複数の告訴が行われた。どの訴訟も同じ被告を告訴の対象としている。

タクバイ事件は、タイ南部での武装勢力との紛争に関連して最も報道で取り上げられる事件のひとつである。2004年10月25日、武装勢力に武器を渡していた容疑で地元の男性6人が逮捕された。村人が集団で抗議し、逮捕された男性らを釈放するよう警察署に要求した。警察は、男性らを釈放するのではなく、群集らに対応するため陸軍を呼んだ。陸軍は群集に対して催涙ガスや放水銃を用いた。銃が使われ、7人が死亡した。

その後、数百人の地元住民が逮捕された。ほとんどは青年層のイスラム教徒だった。逮捕された住民は、腰に紐をつけられ、地面に横たわることを強制された。手は背中で縛られていた。午後になると、トラックに載せられ、拘留先の陸軍の基地に出発した。トラックに詰め込まれたため、陸軍基地に着くまでの3時間の間に、暑さのために78人の男性が窒息により死亡していた。

事件はイスラム教徒に限らず、タイ全体に大きな抗議運動を引き起こした。イスラム教徒でないタイ人も、陸軍の行動に衝撃を受けた。一方、タイのタクシン・チナワット首相は陸軍の行動を全面的に支持し、上述の訴訟が起こされるまで責任者に対しほとんど懲戒措置を行ってこなかった。タクシン首相は陸軍を弁護して、男性らが死んだ原因を「ラマダーンの断食のためにすでに衰弱していたため」であると語っていた。

今週はじめに起こされた最初の訴訟では、5つの政府機関が告訴され、総計で1,800万バーツ(約44万米ドル)以上の損害賠償が請求された。タクバイ警察署の外で殺された7人の抗議デモ参加者のうち5人の遺族たちが、原告となった。2つめの訴訟では、警察および治安部隊との衝突で負傷した抗議デモ参加者のうち17人が原告となり、政府機関を訴え、1,240万バーツを傷害と財産喪失の損害賠償として請求した。これらの訴訟はすべてタイ法律協会の支援でなされた。

タクバイ事件の後、多くの抗議デモ参加者が隣国マレーシアに避難した。最近、そのような越境者のうち40人が、当局による身の安全の保障に応じてタイへ帰国した。

武装勢力の指導がどのように行われているのかは不確かである。どのような組織があるのか、どのような目的によるものかも判然としない。一方で1930年以来、以前マレー人のスルタンの王国だったこの地方にはタイからの分離運動派が存在する。軍による支配のもと、分離派は抑圧されており、ことに2004年以来深南部三県での暴力は激化している。タイ政府はこれに対し、2004年1月に戒厳令を布いている。

戒厳令の施行にもかかわらず、警察、役所、学校、軍施設などへの攻撃は続いている。タクシン首相はこれに対し、武力で抑える政策を採り、2005年初頭緊急事態として行政命令を出し、軍隊の増派を決めた。首相命令でこの地方に増派された軍隊は総計で3万人に達する。一方、武装勢力と戦う訓練と経験の不足から、増派は武力闘争を鎮圧するのにほとんど効果を発揮していない。過去6ヶ月間に陸軍では武装勢力の攻撃により298人が殺害され、300人以上が死亡している。2004年始めから殺害された人数は総計で1,000人を超えている。

英語版ウィキニュースからの翻訳です。

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