スーダン第1副大統領、ヘリ墜落死

【2005年8月2日】

ジョン・ガラン第1副大統領、2004年8月(資料)

スーダンのジョン・ガラン第1副大統領が、31日のヘリコプター事故により死亡した。スーダン国営テレビは当初ガラン第1副大統領の生存を報じたが、ヘリコプターの墜落による死亡が確認された。ガラン第1副大統領は最近就任したばかり。

ガラン第1副大統領は、南部スーダンの20年に続く内戦終結協定の調印に大きな役割を果たした。協定は、国家的統一に基づく政府を作り出し、ダルフール紛争での民兵ジャンジャウィードを含むこの地域特有の多数の問題の解決が最終的に解決されるだろうとの見通しを与えた。また北部のイスラム地区と南部のキリスト教徒地区が共存可能になるだろうとの希望をもたらした。

ガラン第1副大統領は、ウガンダへの公式訪問のためヘリで飛行中だったが、悪天候に見舞われ、目的地に到着せず連絡が途絶えたため、安否が気遣われていた。

BBCの報道によれば、首都ハルツームで大規模な衝突が、ガラン氏の支持者と武装警官隊の間で起こっている。またスーダン南部でも暴動が報告されている。USAトゥディの報道によれば、南部の住民のなかには、墜落事故の背後にスーダン政府高官の関与があるとする見方もある。こうした見方の背景には、1994年にルワンダのハビャリマナ大統領が搭乗中の飛行機が撃墜された事件がある。ハビャリマナ大統領の暗殺はルワンダでの虐殺の引き金となった。

ガラン第1副大統領率いる政党「スーダン人民解放運動」は、平静になることを呼びかけ、ガラン氏の死去は事故によるものであると強調している。

ウェブサイト Allafrica.com に発表されたプレスリリースで、ムセヴェニ・ウガンダ大統領は事故の状況について考慮を続けるよう呼びかけ、事故がウガンダとスーダンの国境付近で起こったことを指摘した。「ヘリコプターは過去8年間、ウガンダ政府が用い、最近オーバーホールされたばかりの要人用ヘリコプターだった」とムセヴェニ大統領の発言が引用され、この機体になされた最近の技術的改良が詳細に触れられている。同じ声明の中で、ムセヴェニ大統領は専門家による墜落事故調査委員会の設置を公表している。「いかなる形でのサボタージュやテロをも克服するため、すでにある外国政府に接触済である」とムセヴェニ大統領は述べた。

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