カダフィ大佐死亡 - リビア・42年の独裁政権に終止符

【2011年10月21日】

リビア共和国の最高指導者だったカダフィ氏
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ウィキペディア2011年リビア内戦に関する記事があります。

ウォールストリート・ジャーナルによると、リビア共和国の最高指導者・カダフィ(本名・ムアンマル・アル=カッザーフィー)大佐が、10月20日UTC+2)、反カダフィ派部隊がカダフィ氏の最後の拠点とされたシルトを制圧した際に怪我を負い、その後死んだと同派の軍事委員会や指導者らが明らかにした。それによるとカダフィ氏はシルトで銃撃を受けて怪我を負った後、北西部のミスラタへの搬送の救急車内で死亡したという。

毎日新聞によると、カダフィ氏の死去について、現地で撮影されたビデオテープや反カダフィ派の「国民評議会」の証言などによれば、カダフィ氏が生きたままで拘束され、その後搬送中に一部の兵士によって銃殺された可能性が示唆されており、仮に無抵抗で殺害された場合、カダフィ支持派の反発や国内の混乱悪化が懸念されるとしている。

日経新聞によると、カダフィ氏は士官学校在学中の1969年無血クーデターを起こし、当時のイドリス国王を追放。革命始動評議会を立ち上げ、その議長となった。その後1977年に革命理論をまとめた「緑の書」に沿った直接民主制の政治に移行するが、公からは実質退き「大佐」を自ら名乗り、の強硬な反発姿勢に対抗する「アラブの狂犬」と恐れられていた。

日刊スポーツによると、リビア共和国では今年の2月から全国で反体制デモが起こり、カダフィ氏はこれを徹底的に弾圧し続けたが、国民評議会がリビア全国をこの日制圧したことによって、42年間にわたるカダフィ政権が完全崩壊し、リビアの開放が達成されたという。日テレNEWS24によると、このカダフィ氏死去に際し、リビア共和国の市民からは歓喜の拍手が起こり、国民評議会は22日にも「リビア開放」を正式宣言する見通しであると伝えている。

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