エチオピア暴動2400人あまりを釈放、野党指導者らは反逆罪で取り調べ

【2005年11月12日】

エチオピアの位置

10日、ロイターなどの報道機関によれば、エチオピアの警察が、1日以来の暴動に関与したとして先週逮捕した2,417人を、9日釈放した。この釈放は同日のエチオピア国営放送がテレビで報道した。報道によれば、国営テレビは、釈放された2400人は暴力行為に直接関与しなかったことが明らかになったと伝えた。これら釈放された人たちは、刑務所などの三箇所の施設に収監されていた。Sapa-AFP通信が伝えたエチオピア警察の声明によれば、2,417人のうち、1,779人はアディスアベバ刑務所、285人はアディスアベバから225キロ南にあるザワイ拘置所、353人はアディスアベバから300キロ西にあるデデサ刑務所から釈放された。

今回釈放された人たちは、今月1日首都アディスアベバで始まった暴動に関与したとして逮捕されていた。3日、日経は野党・統一民主連合(CUD)の発表によるとして、CUD中央委員会メンバー15人全員を含む約1000人が逮捕されたと伝えていた。CUD中央委員会メンバーは11日の時点では誰も釈放されなかった。さらに、11日のスーダン・トリビューンは、10日、CUD党員40人がエチオピアの2つの地域で暴動へ関与した容疑で逮捕されたと伝えた。

IRINは11日、メレス・ゼナウィ首相の発言を伝えた。それによれば、首相は、CUD中央委員会メンバーは政府を転覆した容疑で裁判に掛けられ、有罪であれば死刑に相当すると語る一方、個人の考えとしては死刑は好ましくないと考えると語った。

逮捕されたうちには、野党関係者のほか、ジャーナリストも含まれていた。国際的な非営利団体CPJによれば、6人のジャーナリストが逮捕されている。CPJによれば、エチオピア政府は、逮捕の理由を、報道に関する法律への違反ではなく、暴動を扇動した国家反逆罪の容疑であるとしている。CPJは報道の自由を脅かすものであるとして、強い懸念を表明している。

暴動は、今月1日にアディスアベバで始まり、地方に拡大した。その週一杯、暴動と緊張が続いた。アディスアベバでの暴動は、最初の2日間で2けたに上る死者を出した。読売新聞によると、アディスアベバでの暴動による3日までの死者を、ロイターは42人、国営新聞は11人と伝えている。暴動は、CUDを中心とする政府への抗議デモに対し、治安部隊が発砲し、また野党指導者を一斉逮捕したことが引き金となって起こった。抗議デモは地方に拡大し、さらに複数の都市で暴動が起こった。ロイターによれば、1日から合計で少なくとも46人が死亡した。暴動が収まったのちも、アディスアベバなどでは襲撃をおそれた商店は店を閉め、タクシーやバスの営業が停まっていた。エチオピア政府は、タクシーの運転手などを対象に、営業を再開しなければ営業許可証を取り消すとの通告を出した。BBCによれば7日の月曜から街の状態が平常に復して来たが、夜間には人々が早めに帰宅する状態がつづいていた。

7日には、逮捕された野党関係者が反逆罪に問われることが発表された。BBCによれば、西側外交筋は、逮捕された人たちの釈放が最善の解決策であるとし、エチオピア政府に事態への懸念を伝えていた。

1日のデモは、今年5月15日に行われた下院選挙の結果に対するものだった。日経や読売によれば、エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)を中心とする与党が3分の2の議席を獲得した。これに対し、CUDなど野党は政府による妨害や票の不正操作があったとし、抗議を続けていた。6月にもCUDは抗議デモを行い、日経によればこのときも36人が死亡した。読売によれば、議会は先月開会し、EPRDFのメレス・ゼナウィ首相を再任したが、これに対し、CUDは議会をボイコットすると同時に、支持者にデモを呼びかけていた。

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