イスラエル、ガザとヨルダン西岸の入植地から撤退を完了

【2005年8月25日】

ヨルダン西岸の地図

現地時間23日、イスラエルはヨルダン西岸地区の4つの入植地とガザ地区の6日間に渡る撤退作業を完了した。 1967年の第3次中東戦争以来、イスラエルがパレスチナ占領地から撤退するのは初めて。

ガザ地区での撤退と同様、西岸地区でも強硬派による抗議がなされた。西岸地区の2つの町、サヌールとホメシュでは当初激しい抵抗がなされ、一時は銃撃戦に発展したが、最終的には、兵士に向かって、果物、小麦粉、燃やされるイスラエルの旗を投げつける示威行動にまで収まった。他の2つの町では住民は平和に退去した。

入植地のシナゴーグでは、抵抗派が運び込んだ鉄の棒と有刺鉄線でバリケードが作られていたが、退去への抵抗はなかった。ある入植地では約40人の入植者が砦の屋根に上って最後の抵抗を行ったが、警察による放水にあって抵抗を断念した。

イスラエルの治安担当者は「予想していたより暴力による抵抗は少なかった。緊張を和らげるためにラビが尽力してくれたことが理由のひとつだ」と語った。

撤退の際には4人の警官が軽症を負った。

抗議活動を行っていた強硬派が排除された後、地元に住むパレスチナ人は、報道機関の取材に応じ、これで生活が楽になるだろうと語った。入植地の周りに設置された分離フェンスは、パレスチナ人農夫の移動を妨げていた。パレスチナ人農夫のなかには村の墓地を訪れられなくされたものもあった。

イスラエルは今後もヨルダン西岸の入植地における治安維持を担うが、ガザ地区の治安維持はパレスチナ自治政府に完全委譲される。

西岸地区では約120のユダヤ人入植地があり、23万人以上が生活している。

ガザ地区では、イスラエル軍により、入植地6つが爆破により撤去された。8千5百人の入植者が退去した跡地は、パレスチナ人に使用されることになる。

激しい抵抗があったにもかかわらず、イスラエルのアリエル・シャロン首相の支持率は上昇している。

ブッシュ米大統領は「撤退はこの地域の状況を変え、パレスチナの人々に希望をもたらした」と語った。

パレスチナ人の抵抗組織であるハマスは、撤退をイスラエルの降伏として提示しようと努めている。「イスラエルの一方的撤退は、イスラエルという敵の完全な失敗であると我々は考えている。したがって、この撤退は我々の側からのいかなる譲歩にも値しない」とハマスのスポークスマンは述べた。ハマスはイスラエルが占領地から完全に撤退するまで戦いは続くとしている。

撤退完了の翌日、24日には、エルサレムでパレスチナ人によって超保守派のユダヤ人男性1人が殺害され、別の1人が負傷したと病院のスポークスマンと警察が発表したとロイター通信は伝えている。被害者の国籍はアメリカ合衆国であると救急隊員は語ったが、イスラエルラジオはイギリス国籍と伝えている。この男性は撤退後、最初の死者となった。

英語版ウィキニュースの翻訳を含みます

出典

 
Wikipedia
英語版ウィキペディアIsrael unilateral disengagement planに関する記事があります。


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