平城京、九条大路南側400mに道路遺構

【2005年8月27日】

8月26日、奈良県大和郡山市教育委員会と元興寺文化財研究所は、平城京跡の南側、同市の下三橋遺跡で、碁盤の目状に区画された奈良時代初頭の道路の遺構が見つかったことを明らかにした。複数のメディアが伝えた。

従来、平城京は南北九条までとされていたが、この発掘により南十条があった可能性が出てきた。これにより、平城京は南に約400m広がることになる。

土器などから、この道路は、藤原京から平城京に遷都して20年後ほどの西暦730年ごろに、意図的に埋められたものと見られている。

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