ピノチェト・元チリ大統領死去

【2006年12月12日】 元チリ大統領アウグスト・ピノチェト将軍が、12月10日、チリの首都サンティアゴの陸軍病院で死去した。

ピノチェト元大統領は現地時間午後2時15分(午後5時15分 UTC)に家族に見守られて死去した。病院からの短い発表によると、元大統領の容態は、12月3日の心臓発作のあと急に悪化した。先週はじめには、ピノチェト元大統領は心臓発作から回復しつつあると報道されていた。

チリの位置図

1973年、ピノチェト将軍は、アメリカ合衆国に援助されたクーデターを起こし、民主的な選挙によるサルバトール・アレンデ大統領政権を転覆した。アレンデ大統領はクーデターのごく初めの数時間に死亡した。ピノチェト政権はあらゆる反対者を沈黙させる恐怖政治を17年行った。1990年にピノチェト大統領が退陣した後も、現在に至るまでチリの国民的な傷跡はいまだに癒えていない。

ピノチェト元大統領の死後数時間経って、チリ政府スポークスマンのリカルド・ラゴス・ウェーバーは、国葬や国家的弔意の表明を行わないことを発表した。一方で、政府は陸軍の施設が半旗を揚げることを公認した。ピノチェト将軍の葬儀では陸軍による敬意が表される予定であるが、 ミシェル・バチェレ大統領は参列しない。

イタリア広場(資料)

死去が報じられて数時間の間に、数千人の人々がサンティアゴ市中心部のイタリア広場に集まり、かつての独裁者の死を祝った。街路にはカーニバルのような祝賀の雰囲気が満ち、人々は旗を振り、歌を歌い、シャンパンを飲んだ。その後、警察が放水銃と催涙ガスを群集に放ち、衝突が起こったと報道されている。

少数人からなる右翼グループが、故人の写真を掲げて、陸軍病院の外でピノチェト元大統領の死を悼んだ。「とても悲しい。まるで孤児になったような気がする」とある支持者は報道陣に語った。

一方、多くの反対者はピノチェト元大統領が生前処罰を受けなかったことに憤っている。「この犯罪者が刑を宣告されないまま死んだことが、悲しい」と人権擁護派のフーゴー・グティアレズ弁護士は語った。

ピノチェト氏の「鉄拳による支配」によって、数千人が殺されたり行方不明になった。後年、ピノチェト元大統領のイメージは、元大統領が大量の金を盗んで外国の銀行口座に蓄え、コカインの密輸と関係していたという報告によって、さらに損なわれた。

数十の人権侵害を理由に告訴され、ピノチェト元大統領を法廷に立たせようとする数多くの国際的な努力が繰り返されたが、かつての独裁者は健康を損ねていることを理由に、法廷に立つことはついになかった。

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