「プロレスラーの三沢光晴選手急死 試合中に頭を強打」の版間の差分

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{{日付|2009年6月14日}}
毎日新聞によると、[[w:プロレスラー|プロレスラー]]の[[w:三沢光晴|三沢光晴]]氏(46歳)が6月13日夜({{UTC|+9}})に[[w:広島市|広島市]]の[[w:体育館|体育館]]であった[[w:プロレスリング・ノア|プロレスリング・ノア]]の試合中に心配停止状態で倒れ、緊急入院した同市内病院で死亡が確認された。
 
[[w:毎日新聞|毎日新聞]]によると、この6月13午後8時30分ごろ({{UTC|+9}})、[[w:広島県立総合体育館|広島県立総合体育館]]であった[[w:プロレスリング・ノア|プロレスリング・ノア]]広島大会の試合において、メインイベントのタッグマッチの試合に出場した[[w:プロレスラー|プロレスラー]]の[[w:三沢光晴|三沢光晴]](46歳)が相手選手のバックドロップを頭に強く受けて倒れ、そのまま動かず心肺停止状態った。レフリーが三沢氏に「動けるか?」と問うと三沢氏は「動けない」と返答。試合が一時中断緊急搬送された後、医師であるという観客が[[w:自動体外式除細動器|AED(自動体外式除細動器)]]で蘇生を行ったという。三沢氏は同市内にある[[w:広島大学病院|広島大学]]の[[w:広島大学病院|付属病院]]に搬送で死亡が確認されたが、[[w:広島県警察|広島県警]]によると同日午後10時10分、三沢氏の死亡が確認されたのは同日午後10時10分({{UTC|+9}})
 
三沢氏が対戦相手からのバックドロップを受ける際、受け身が十分にとれず不自然な形で落下し、そのまま倒れこんだ。レフリーが異変に気づき「動けるか」と問いかけると「動けない」と返答したため、そのまま試合はレフリーストップで中断した。その後、三沢氏は選手などからの問いかけに応じず、呼吸が止まったことから心肺停止になったと判断したトレーナーや観戦していた医師が[[w:自動体外式除細動器|AED(自動体外式除細動器)]]などで蘇生を試みたが、心肺停止状態のまま病院に搬送された。
朝日新聞によると、この試合を見ていたという広島市内の会社員の32歳の男性は「三沢氏がバックドロップをかけられる前に体がよろめいていた。三沢氏にいつもの体の切れがなく、疲れていた様子だったので、大丈夫かなと思って試合を見ていた」と話す。また、スポーツニッポンによると、三沢氏が意識不明となった瞬間、2300人のファンからは「三沢、三沢」と応援する声が上がっており、搬送後も騒然となった状態が続いた。
 
[[w:朝日新聞|朝日新聞]]によると、この試合を見ていたという広島市内の会社員の32歳の男性は「三沢氏がバックドロップをかけられる前に体がよろめいていた。三沢氏にいつもの体の切れがなく、疲れていた様子だったので、大丈夫かなと思って試合を見ていた」と話す。また、[[w:スポーツニッポン|スポーツニッポン]]によると、三沢氏が意識不明となった瞬間、会場にいたおよそ2300人のファンからは「三沢、三沢」と応援する声が上がっており、搬送後も会場は騒然となった状態が続いた。
日刊スポーツによると、三沢氏は[[w:埼玉県|埼玉県]]出身。[[w:足利工業大学|足利工大]][[w:足利工業大学附属高等学校|付属高校]]で[[w:アマチュアレスリング|アマチュアレスリング]]フリースタイルの87kg級で[[w:国民体育大会|国体]]に優勝。その後[[w:全日本プロレス|全日本プロレス]]で[[w:ジャンボ鶴田|ジャンボ鶴田]]選手の付け人を経て選手としてデビュー。[[w:タイガーマスク#2代目|第2代タイガーマスク]]として活躍した後、1990年にマスクを脱いだ。その後は超世代軍団を結成し、3冠選手権タイトルを獲得。2000年に全日本プロレス社長を解任された後に、プロレスリング・ノアを結成。GHCヘビー級の初代タイトルにも輝いた。
 
日刊スポーツによると、三沢氏は[[w:北海道|北海道]][[w:夕張市|夕張]]生まれで、[[w:埼玉県|埼玉県]]出身。[[w:足利工業大学|足利工大]][[w:足利工業大学附属高等学校|付属高校]]で[[w:アマチュアレスリング|アマチュアレスリング]]フリースタイルの87kg級で[[w:国民体育大会|国体]]に優勝。その後[[w:全日本プロレス|全日本プロレス]]で[[w:ジャンボ鶴田|ジャンボ鶴田]]選手の付け人を経て選手としてデビュー。[[w:タイガーマスク#2代目|第2代タイガーマスク]]として活躍した後、1990年にマスクを脱いだ。その後は超世代軍団を結成し、3冠選手権タイトルを獲得。2000年に全日本プロレス社長を解任された後に、プロレスリング・ノアを結成。GHCヘビー級の初代タイトルにも輝いた。
 
==プロレスラーの試合中の死亡事故・過去の例==
スポーツッポンの別の記事によると、日本のプロレスリングにおいて試合中における事故で死亡した例はこれまでに3件ある。
*1997年8月 [[w:JWP|JWP女子プロレス]]に所属していた[[w:プラム麻里子|プラム麻里子]]選手(当時29歳)が広島市であった試合中に頭を強く打ち、意識不明となったが、[[w:脳腫脹|急性脳腫脹]]により死亡。
*1999年3月 [[w:アルシオン|アルシオン]]の[[w:門恵美子|所属女子選手]](当時23歳)が[[w:福岡市|福岡市]]での試合にやはり頭を強打し病院に運ばれたが、同年4月[[w:硬膜下血腫|急性硬膜下血腫]]で死亡。
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|著者=スポニチAnnex
|発行者=スポーツニッポン
|日付=2009年6月14日}}
 
*{{出典・ウェブ
|url=http://mainichi.jp/enta/sports/news/20090614spn00m050002000c.html
|タイトル=三沢光晴さん死す:受け身取れず、体が「く」の字に
|著者=毎日jp
|発行者=毎日新聞
|日付=2009年6月14日}}