「都市対抗野球、三菱ふそう川崎が日産自動車を下し優勝」の版間の差分
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神奈川県勢同士での決勝戦は1984年の日産対日本鋼管(川崎市 現・[[w:JFE東日本硬式野球部|JFE東日本]]=[[w:千葉市|千葉市]]に移転)以来21年ぶりだった。
試合は1回、新保選手の先頭打者ホームランで三菱が先手を奪うと、2回に日産が小山選手のホームランで追いつく。そしてその裏の三菱は2アウト1・2塁のチャンスに植山選手のタイムリー2塁打で再び勝ち越し。3回にもやはり2アウト1・2塁から三垣選手のタイムリー2塁打でもう1点を追加。5回に日産は2アウト2・3塁から村上選手がセンター前の2ランタイムリーヒットで同点に追いつ
一進一退の好ゲーム展開が続いたが、6回に三菱が満塁のチャンスを作り、植山選手がセンターへ犠牲フライで4-3と勝ち越し。8回にも佐々木選手の犠牲フライと西澤選手のバントヒットがタイムリーとなりこれが決勝点。9回日産も満塁のチャンスを広げるが谷村投手が最後の打者・吉浦選手を三振に抑えて試合は終了。三菱が2年ぶり3回目の黒獅子旗(優勝旗)を獲得した。
主催の毎日新聞によると、個人賞は、最優秀選手(橋戸賞)は三菱の植山選手、敢闘賞(久慈賞)は日産の梵選手、小野賞は優勝した三菱の垣野監督が受賞した。また応援団コンクールの大会期間賞の表彰も行われた、最優秀賞は[[w:日立市|日立市]]・[[w:日立製作所硬式野球部|日立製作所]]が受賞。「企業カラーのオレンジ色のベストで応援席を染めて、得点を獲得した時のウェーブで一体化させた」こと
== 出典 ==
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